こんにちは!事務局インターンの金子です。
秋も深まってまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私は先日定住支援活動として、
ミャンマー人の「面接同行」と「銀行振込補助」を行いました。
本日は、私が活動を通して肌で感じた日本の社会課題について、お伝えしたいと思います。
最後まで読んでいただけますと、幸いです。
はじめに、活動の詳細についてご説明いたします。
面接同行について
私は、横須賀市の食品メーカーに就職を希望するミャンマー人の方を支援しました。
彼は、日本に来て約20年になり、日本での職務経歴があります。
彼と2人で事務所に入ると、面接シートを渡されました。
面接シートは、全て日本語でした。
ルビはありません。
彼は日本語はある程度「話す」ことはできます。しかし、「読む」ことは彼にとって少し難しいことでした。
私はそのまま別室に回され、面接が終わるのを待ちました。
私は日本語が読むことが難しい彼のことが少し心配になりましたが、為す術がないため、成功を祈って待つのみでした。
15半ほど面接を行ったようです。
面接終了後、すぐに彼に会い、面接の感想を聞きました。
「なんとかシートに記入はできた」と、和やかな顔で話してくれたため、私はホッとしました。
銀行振込補助について
その日に私が支援したミャンマー人の方は、娘様の学費納入のためにATMを使う必要がありました。
私は横須賀市の駅前で、その方と待ち合わせをして、学費数十万円を学校に振り込みました。
振込のために配布されていた学校から案内書には、振込先や振込金額は英語で記載してありました。
しかし彼女にとっての問題は、ATMの使い方です。
私は案内書をよく確認し、ATMで振込の手続きを進めました。
金額や振込先、名義などの大切なところはよく確認してもらい、納得して支払いが完了することができました。
正直なところ、私は「外国人は日本のATMを使うことが難しい」という視点を持ったことがありませんでした。
よく考えてみると、不思議なことではありません。
幼い頃、私の親がATMの操作をして、お金を引き出していたことを見ました。
私は「どうやって操作しているんだろう?」と、疑問に思ったことをよく覚えています。
ATMで使われる言葉は全て漢字です。
漢字が読めなかった頃の私にとって、操作は全くわかりませんでした。
漢字が読めるようになり、「振込」「引出」などの意味がわかってから、はじめて1人でATMを利用できるようになりました。
外国人の方にとっても、同じです。
難解な漢字が並んだコンピュータに、自分の大切なお金を扱うことは、易々とはできません。
私はこの経験を通して、よく考えれば当然だけれども、今まで考えてこなかったことに気が付きました。
2つの活動を通して感想
私は「日本語」が大きな壁になっていると感じました。
私たちは、豊かな日本で、当然のように公的サービスや医療サービス、金融サービスを利用しています。
しかし、それらサービスを利用できることの大前提として、日本語を「読める」「書ける」ことが必要です。
一方で在日外国人の方々は、日本語を「聞ける」「話せる」ようになることが第一優先です。
なぜなら、働くために最も必要な能力が、日本語を「聞くこと」と「話すこと」だからです。
日本語を話すことができて、コミュニケーションが取れる外国人の方はたくさんいます。
しかし、そのような方々のなかにさえ、生きる上で大切なサービスを十分に受けられないという現状に対し、私は違和感を覚えました。
これからの社会に必要なことは、
「バックグラウンドや価値観に、当たり前はない」
という意識だと思います。
相手と自分の「距離感」は完全に理解できなくても、相手と自分に「距離がある」ということ認識することが大切だと思います。
そのうえで、両者が立場を尊重することができれば、多様性に溢れた新しい社会を実現できると考えます。
たとえば、漢字に読み仮名を振ったり、英語を併記する、といった補助があれば、より住みやすい街に変わっていくと思います。
今回の活動は、このようなことを考える機会となりました。
感想は以上になります。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございました!