数年前まで、ミャンマーという国は近しい存在ではありませんでした。ミャンマーに触れたといえば、大学入試で選択した世界史の中でです。当時はまだビルマという国名でした。王朝名や地域の歴史を簡単に押さえ、試験に出そうな用語をわずかに覚えるといった程度でした。
このコラムを書くにあたり、ミャンマーの歴史を年表で確認してみました。11世紀のパガン朝、18世紀のアウランパヤー朝(今は言わない?)、19世紀の英国植民地化、そして日本軍の侵攻。「覚えたなあ」と。つまり受験勉強にだけ登場する国だったわけです。近年、アウンサンスーチー氏の母国帰国、自宅軟禁などが話題になり、メディアを介してミャンマーの存在を再認識することとなりましたが、私には遠い東南アジアの国で起きている出来事としかとらえていませんでした。
大きな変化はNPOリンクトゥミャンマー理事長の深山さんの記事を読んだときにおとずれます。日本にいるミャンマー人の待遇や難民申請について、そして本国の民族問題などミャンマーが抱える問題を浮き彫りにした内容でした。日本にミャンマー人が住んでいるという事実だけでも私には衝撃的で、以来新聞やテレビで報道されるミャンマーの出来事に強い関心を持って接することになります。深山さんから継続的に生の一次情報を聞いていたことも大きいと思います。ぐっと近しい国になりました。
国が開かれて今後大きく発展することが予想されるミャンマーですが、国内外のミャンマー人はまだまだ課題や問題を抱えています。解決のために自分にできることはないか、協力できることはないか。彼らとの相互交流を通じて、長く協調的に彼らの支援に携わることができれば幸いです。
リンクトゥミャンマー監事 元井