★リレーエッセイ①★「私とミャンマー」リンクトゥミャンマー事務局長 粂川美千代

高校3年生だった私は、自信をもって人に言えるような特技はなく、夢中になれる部活や趣味もない。将来の夢も特にないのに進路を決めなくてはならず、少し悩んでいました。語学は好きだったので、日本人があまり勉強しない言葉を話せれば「特技」として将来何かの役に立つかもしれない。タイ語やヒンディー語、タガログ語では(当時の私の尺度では)インパクトが足りない。そこで注目したのがビルマ語(ミャンマーの公用語)でした。

 

私の思惑は命中しました。大学でビルマ語を専攻した後、「ビルマ」「ミャンマー」というキーワードに反応するごく一部の人たちとの出会いがあり、タイのNGOに就職しました。ミャンマーでの地雷使用状況調査や地雷被害者の支援をする団体でした。軍事政権下では地雷のように軍事に関わる調査活動は禁止されていたので、隣国タイで活動していました。

 

タイでの出来事は、「なんとなく」ミャンマーに関わってきた私が、積極的姿勢になる転機となりました。タイ・ミャンマー国境に住む難民、銃を担いだ少数民族武装勢力の少年兵、地雷で手足を失った子ども、カナダで難民申請するために旅立つ直前のカレン族の元兵士との出会い。ミャンマー国内の瞑想センターでの平和な日々。多面的で、計り知れないミャンマーに大きな魅力を感じました。

 

その後、出産と育児で10年にわたりミャンマーから離れましたが、気が付けばまたミャンマーに関わっています。まるで古巣に帰ってきたような気さえしています。高校時代に思い描いた「将来」の時期がきて、私にとってのミャンマーはますます存在感が増しています。

 

(リンクトゥミャンマー 事務局長 粂川美千代)